著者は仏教ですので、毎年豆まきしてきました。
そして弟がクリスチャンと結婚しても、
やはり豆まきしていますよ。
でも、宗教によって「豆まきはしない」というこだわりがあるのでしょうか?
実際に宗教と関係があるのか、調べてみました。
豆まきってどこからきたの?
昔から日本では、季節の節目に厄除けをし、
無病息災を神様に願う風習がありました。
ですから豆まきという行為は、
仏教を基本とした考えからなる行いなのです。
鬼の存在
「鬼は外!」と言いながら豆まきをするわけですが、
この鬼の存在は、「邪気」や私達の「煩悩」を指すと言われています。
「邪気」とは、自分を病気に招く、悪い気の事で、
「煩悩」とは、人の心に住む欲望のことで、
その煩悩が心身を乱して悩ませ、心の働きを妨げると仏教では教えられています。
そしてそれらを鬼と呼び、
追い払う為に豆を鬼の目にぶつけるようにまくのです。
宗教と豆まきをしないことには関係がある
仏教の中でも「浄土真宗」では、この鬼に対して独自の考えがあるようです。
「年に一度鬼払いをしても、煩悩を追い払う事は出来ない」
という考えであったり、
「煩悩は自分自身で作り上げるものなのだから、
外に存在するのではなく、自分の中にあるもの」
と鬼自体に対する考え方が違うので、
浄土真宗の寺院では、豆まきをしないそうです。
豆まきしない宗教の人が豆まきすると問題!?
浄土真宗では、煩悩は自分の内に潜むものであり、
それにどうやって向き合っていくかと修行するのが、
人生であると教えています。
自分にとって都合の悪いものは、外に追いやって、
自分に都合の良いものだけを内に入れるという考えが、
自分勝手だと言います。
そしてそのような行為が、今の日本には多すぎるそうです。
だから豆まきなどが流行るそうで、
それも問題だ!とされています。
豆まきをする、しないの考えは、その人それぞれであって、
「今年は豆まきしなかったから、悪い事ばかりおこった」と
思う人もいれば、
「真宗の私が豆まきしたから、良くない年になった」
「豆まきしないけど、毎年良い年よ」
など宗教が人間の自由であるように、
その人それぞれのとり方があっても、
良いのではないでしょうか。
考え方の持ちようで、前向きな年にもなれば、悪い年にもなるのです。
その他のルール
炒った豆を使う
生の豆だと芽が出てくるので、縁起が悪いとされています。
パパは鬼じゃない!
鬼は目に見えない邪気なので、
パパを筆頭に豆まきをするようにしましょう。
いつも元気で仕事に頑張って欲しいパパを、
鬼にしてしまってはいけません。
夜に行う
鬼が行動し始める夜に行って、鬼を追い出しましょう。
豆まきが終わったら、すぐ窓を閉める
追い出した鬼が戻って来ないように、
すぐ窓を閉めましょう。
まとめ
以上のような様々な言い伝えや、
人によって信じられている事が違ったりするようですが、
私が育った地域では、落花生を撒いていましたよ。
それだと床に落ちた豆でも、殻をむいて食べれるので、
清潔だからです。
友達にこれを言ったら、びっくりされた事があります。
どちらにしても年に一度の行事です。
豆まきをしてもしなくても、
それに応じて自分の人生が良い年になるように、
心がける行為をする事の方が大事なのだと思います。
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